これまでの活動 2003年度

水ワークショップ 第4回
「地域水環境システム」

日時 2003年11月12日(水) 14:00 – 17:00
場所 ピアザ淡海305会議室
話題提供 殿界和夫(日本地下水学会・環境技術研究協会(高槻市水道部))
参加者 10名
ファシリティター 若井 郁次郎氏(大阪産業大学人間環境学部教授)

(1)話題提供
現状1:琵琶湖水質環境

COD57t/日が琵琶湖に流入。
点源汚染:非点源汚染=51:49 と半々(平成7年3省・庁合同調査)。点源のほうは場所も特定され、対策も充実してきているが非点源はほとんど状況変わらず。

同様に、
T―Nは22t/日で点源汚染:非点源汚染=45:55
T-Pは1.4t/日で点源汚染:非点源汚染=69:31
これらは降雨による影響が大きい。また汚水処理だけではきれいにならないことも重要。

現状2:琵琶湖の生態系

湖岸の変化<内湖の干拓、湖岸堤の築造>
湖岸堤ができたことで陸から湖へ急に流れ込むことに。これに伴い、ヨシの減少・稚魚の産卵場の減少が起きた

生態系の変化
  • 水鳥構成の変化:小型種の減少と大型種の増加(カワウ等)
  • 水草採食種の増加と底生生物採食種の減少
  • 長期的に沈水植物の減少(ネジレモ等)
94年渇水による透明度上昇と沈水植物群落の増加

94年226ha(南湖)1441ha(北湖)→ 2000年1296ha(南湖)2825ha(北湖)
これは元の琵琶湖に戻りつつあることをさしているが続くか?

砂浜の減少(水中の100倍以上の密度の細菌生息)
湖岸植生による有機物のバイオマス転換と取り出しの減少
☆これらを踏まえて「復元する流れ」をエコ村を通じて作ることが大事

現状3:地域水循環の崩壊
  1. 遠い水の開発(ダムなど)と近い水の放棄(地下水など)
    • 例1:琵琶湖の水で暮らす人どんどん増えて1500万人に
    • 例2:流域下水道の整備で河川水の減少
      (近江八幡の下水も湖南処理場へ)
  2. 洪水対策による河川の直線化(非降水時流量の少ない河川)
  3. 市街地の高度利用(地表浸透面の減少)→ローカルな水が使えなくなる
  4. 農地整備(用排水分離で水の使用量が増え、汚濁物質排出量増加)
  5. 人工造林と育林の放棄(森林からの汚濁物視の流出)
地域水循環の再生へ
手法1

地下水の利用・排水処理水の利用・雨水の利用・グレイ・ウォーターの利用

手法2

カスケード水質利用(グレイ・ウォーター使用)

  • 廃水の分別処理
  • エネルギーを使わない、廃水の生物処理(リビングマシン)
手法3

雨水の区域内処理

  • 雨水浸透
  • 浸透マス
  • 非ライニング水路
  • 建物のピロティ化
  • 渇水対策
  • 調整池のビオトープ(生物の住処として)
手法4

水辺の復活(生き物が戻ってくる→浄化力アップなど)

  • 地域内を流れる水路
  • 池の配置
  • 流水の確保(蚊を発生させない)
  • 水辺を生活の中に(遊び、学び、食材、材料)
  • 水辺管理

※オーストラリアのクリスタルウォーターズ(エコ村。ブリズベンから約100km)
もともと牧畜をやっていていたが、過放牧から生態系崩れた。
そこでエコ村を作って環境改善を目指した。

  • 川を通し、その周りに住宅を配置させ、ヒシをとって食料に
  • エコ村ではグレイ・ウォーターは取り入れたい
  • 雨水は翌日までは蓄えられるようにしたい(工夫いる)
ファシリティター

いろんな手法や事例を紹介してもらった。エコ村では何をどう組み込むか?またどんな水情報発信をしていくか?を考えていきたい。近い水を使うということを言い換えると『水の地産地消』とでもいえるでしょう。仁連先生に議論が活発になるように追加で写真など紹介していただきたい

「クリスタルウォーターズのコンポストトイレの写真」(4人家族で年2回回収すればいいくらいのタンクを設置。明るいトイレ)果たして水洗トイレ化された日本人がドライトイレに戻れるか?
「道が住宅より低いところにある写真」まれに起こる大雨のときは水路をかねている。
降水があった場合、できるだけ地中に浸透させる。次に住宅地などに蓄える。それでもあふれる場合は道路を貯水池の代わりにする。それでもあふれる場合だけ川に流す。
またグレイ・ウォーターの家庭での例として比較的きれいな「風呂水」「洗濯水」「洗面水」はトイレや散水へまわし、利用後は下水道か浄化槽へ。台所水は下水道か浄化槽へ。
さらに「風呂水」「洗濯水」「洗面水」の水源に地下水を利用すると夏冷たく冬暖かい(エネルギー削減)ことになる上、水の近場利用になるため住民が廃水に気をつけるという環境学習効果(抑止効果)が期待できる。

(2)ワークショップ

日本は戦後復興を通して都市を合理的に作ってきたはずであるが、短時間で水が姿を消すなど自然界では不思議な現象が結構多く起きている。道もそう。なぜすべての道がアスファルトで舗装されているのか?生活道路には不要ではないか?など一つ一つに疑問を投げかけ見直しをかけていくことが必要のような気がする。
話は少し変わるが、ヨーロッパで盛んになっている多自然型の河川工事の技術はもともと日本で利用されていた信玄堤などである。古いものはだめとしてきたことがこういう事態を生んでいる。
ドライトイレもそうだが、今の日本人がそういった技術や仕組みを採用したとき不平不満がうまれないか?

  • ドライトイレは空気を吸い込むようにすれば気にならない。しかし世界各地のドライトイレを採用したエコ村はまち全体かすかに匂いがする。私はにおいに鈍感だから全く気にならなかったが(笑)。問題はコンポスト後の利用である(欧米)。
    欧米では最初大便・小便を男女とも分けて用を足し、大便は乾燥させて植栽の肥料に。小便は薄めて肥料に利用。大便は食品添加物や薬を飲むようになったせいで生き物が口にする食べ物を作ることができない状況なので欧米ではコンクリで固めた区画にヤナギを植え、コンポスト堆肥で育て、チップにして燃料として利用していた。現在は大小便を水洗式で分けて用を足しているところも出てきたがその場合分ける必要はあんまりない気がする(大便は発酵処理ではなく生物処理)。
  • 無菌化・衛生化が進めばエネルギー多消費生活になってしまう。それにどう対応したエコ村にしていくか?若い人のイメージを聞きたい(特にドライトイレにことについて)。
  • もともと日本人はサラダを食べる習慣はなかったが、食べるためには人糞起源の肥料が使えないことになる。何かを選ぶということは何かを使えなくなることでもある。われわれがどんな生活を送るかを選んでおけば全く問題ない。
  • ポットン便所は暗くて怖いというイメージがなくなればおばあちゃんのうちにトイレ自体はあったし問題は少ない。
  • ちょっと話は大きく変わるが、琵琶湖と人々の生活のかかわりについて考えたい。エコ村での生活をしていく中で、環境への効果を確認することができることが大事になってくると考えるがどうでしょう?
  • 若い人は小学校の頃から環境問題を学習してきているから抵抗は少ない人が多いと思う。
  • 今までは水に対する取り組みが各場面で断片的であった。各断面の最適化は取れている(部分最適解)と思うが、全体を見渡したとき最適解ではないことは明らか。それは水の循環とエネルギーをセットで追求することにより徐々に求まっていくことだと思うが、これまで追及する主体が存在しなかった。エコ村の誕生が追求する主体になれるのではないか?
  • 水の扱いでエコ村を考えて大事な視点とは?
  • 村以外に対して迷惑をかけないこと。水のバランスをとって責任を逃れない。
  • 自分たちでできるところはやるという姿勢で何事も行い、その上でできないことは公共で考えるという考えは共感できる。これまでは何かあれば行政のせいにするような依存型の生活だったが、自立していかなければ。
  • 琵琶湖博物館に展示されている富江家がエコ村のイメージである。しかしこのような家がなくなってしまったのはなぜか?私は小さいとき人を家によぶことができなかった。「おまえんとこはポッチョンか?」といわれたのはショックだった。田畑がなくなったことが人糞を使わなくなったことの理由になっている気がするが別の側面も大きかったのではないか?
    もうひとつ。排水の分別処理の新しい方法をエコ村で作りたい。例えば夏風呂の残り湯を田畑に撒けるが、冬はそうはいかない。ではどうするか?といったこと。ローテクでいいのだ。
  • 物質のリサイクルなどを考えたビジネスはたくさんあるがかなり多くが「自然の利用」という視点が欠けている。そこをもっと考えていかなければ。
  • 環境の問題とエコ村を分けて考えないとレベルが違いすぎる点がある。また、便利さをどこまであきらめて昔の生活に戻るのか?ある程度便利は必要。
  • 便利さを失うような不安感があると思うが、それを克服するものか工夫が見つかれば・・・
  • 極端な便利社会は無駄に時間をもてあます結果になったような気がする。われわれは先が短いからわれわれの知恵を受けて若い人がどう考えるかだ。
  • ある程度の寄生虫はいたほうが体にいいという。飲む水とトイレの水が同じきれいさなんてばかげている。そういう贅沢は無駄だ。
  • 私からは2つの質問がある。1つ目は点源と非点源の話だが、それぞれ量や濃度に差があるように思えるがそれぞれの水循環をどう考えているのか?もう1つ。快適性と安全性を求めてこれまで人間は進めてきたと認識している。特に安全性の面から先ほどの道を調整池にする発想を見ると、緊急車両の妨げになるなど問題があるのではないか?
  • 質問1について。まずは水の使用量を減らさなければならない。現在日本人の平均水使用が約3t。大阪は多くて4.5t。欧米は2.5t。ちなみに日本で始めて上水道を計画した大阪市の当時の水需要は1人0.8tだった。
    質問2について。道路の水深(10cmなど)を決めれば緊急車両も問題ない。また道だけが調整池になるのではなくまずは住宅がその役目を果たすわけである。
  • システム全体の最適解に間に合うのか?ということもあるが、まずはエコ村がいい例になり、水平展開するイメージでいけばいい。
  • 船やヘリなどいろんな交通手段を考えたほうがいい。車は阪神大震災を見てわかるように脆弱な交通機関である。また水を緊急時でも準自給できるようにする必要がある。
  • 昔のいいところを伝えてもらって生かしていければいい。
  • 水の大切さは触れないとわからない。エコ村の中に水と触れる場所があればその大切さや危険を体感できる。私が住んでいるところでは、緊急時には道が用水路になることを聞いた。においでは、昔の離れのトイレに沈丁花や金木犀が植わっていたのも知恵。おばあさんの時代に井戸に水を汲みにいってたことやトイレが離れているのはいやだ。難しい理論とかたくさん話してもなかなか頭に入らないし、エコ村でいろいろな体感実験をすればいい。高層住宅だとできないことも多いと思うが。
  • 自分たちで作り、補修していくことを繰り返していけば体感学習になる。
  • 淀川委員会で2つの方針が出た。「水は自然の循環から使えるだけにとどめましょう(これからは水資源の開発ではなく需要の管理である)」「洪水は致命的な損害以外は受け入れよう(100年に一度などの確率の議論ではない)」
  • 被害を受け入れる際に保険システムがいるかもしれない。また水は人だけのものではない。他の生物から収奪してはならない。
  • 危険な川のそばに住んでおきながら危ないから保障しろというのは身勝手。危ないことを知ってて黙っている行政も問題だ。土壌汚染対策法のように水に関することを適正に評価していかなければならない
    バブル時には家を乗り換えるという発想が生まれた。手頃に誰もが土地を買えたし、それがどれも値が上がると信じていた。守山のリゾートマンションなんかその際たるもの。1年である短い時期しかすまないのに、わずかに住み続ける人のためにごみの収集は止められなくなっている。
  • 特別な集落形態や生活パターンを最初から当てはめようとしてはならない。エコロジーを前面に出したら問題になるかもしれない。川上の人の配慮を川下の人が感じているか?また逆に川下の人は川上の人に感謝しているだろうか?つまり水の問題はエコ村だけ話ではない。川上の人に「川下にはエコ村があるから」と思ってもらえるようにしないといけない。
    私はうれしかった。エコ村のことを知らない近江兄弟社(高校)の理事長が水のことに非常に関心を持ち、進んだ取り組みを行っていた(排水路は生きた石を敷き詰めたところを流し浄化させるなど)。
    またそろそろWSにはエコ村に住んだ人が中心にならないと。
  • 水をいつまでも想えるまちにすれば収奪もなくなり、自然も健全になっていくとおもう。

(文責:吉田徹)